今年のINST-ALL FESTIVALは新型コロナウイルスの影響で来年に延期。

きっと去年からこの日を楽しみにしていてくださった方もいるでしょうし。

開催日を発表した日から7月5日を楽しみにしてくださった方もいるでしょうし。

新型コロナが日本中に蔓延し、色んなイベントが中止や延期になる中で「それでもINST-ALLはやるのではないか」と。

そんな期待を持ってくださった方もいらっしゃったかと思います。

会社に有給申請をした方もいれば。

ホテルや新幹線を予約してくださった方もいたことでしょう。

どうしてそんな方々の楽しみを新型コロナウイルス如きが奪えおうか。

人類を舐めるなよ。
我々人間は、貴様のような新型コロナなどに屈しない。

とは思えど無理に開催すべきではないし。

かと言って、何もやらないってのも楽しみを奪われた方々を放っておいてしまう形になってしまう。

ということで、今回は去年のドキュメンタリー映像やライブ映像、コロナ禍の中で収録した最終電車の演奏動画を含め、4時間半の配信トークライブを行いました。

事前の準備や、当日の進行。
見えない部分で動いてくださったスタッフの皆様。
会場まで遥々お越しくださった出演者の皆様。
そして何より配信トークライブを見てくださった皆様。

たくさんの方々への感謝の気持ちは、空より大きく海より深い。

のですが。

今回はそのトークライブ中に行った企画「玉田作・ADAM atへの励ましの手紙」を綴っておきます。

はじまり、はじまり〜。

①玉田さんへ  The Hey Songキットより

玉田さん、今年のINST-ALL FESは来年に延期になってしまいましたが、僕はこの延期は来年、必ずもっと良い形になって返ってくると信じています。
玉田さん、覚えていますか?
玉田さんが昔、僕にかけてくれた言葉は今でもはっきりと覚えています。
あの時の僕は、「お〜い、お茶」の俳句に落選したショックから、酒と女に溺れる日を送っていました。
その日も相変わらずストロングゼロをストローで飲んでいる僕に、「酒に溺れるのもええ。女に溺れるのもええ。やけどな、やけど、未来を捨てるようなことはしたらあかん。あんさんはまだ若い。いくらでもやり直しが効くはずや。今からできることをなんでもしたらええ。今やっていることは必ず、未来に返ってくるんや。あんさんはきっと大物になる。さ、立ちなはれ」と玉田さんは言ってくれました。
そして僕をおんぶし、玉田さんの家に泊めてくれたのです。

僕はその日からインストバンドをやろうと思い、その甲斐があってか、今ではThe Hey Songというバンドでビクターからメジャーデビューしています。
そしてあの日、玉田さんが言ってくれた「あんさんはきっと大物になる」という言葉を信じ、僕はその時から自分のことをキットと名乗るようになりました。

今では、ビクターからの印税やグッズの収益、チケット代や営業案件のギャラに加え、ライブハウスJAMMIN’での役員報酬などにより、都内に庭付きの一軒家を建てることができました。
そしてモデル出身の妻と3人の子供、ゴールデンレトリバーに囲まれ幸せに暮らしています。
一番上の子は来年の春には大学生です。

玉田さんがあの日、かけてくれた言葉があるから今の僕があります。
来年のINST-ALL FESでも、そしてその日までも玉田さんを支えられるように頑張りますので、またあの日みたいに説教してください。

玉田さん、ありがとう。
2020年7月5日 The Hey Songキット

<CM>
あんなもの〜 こんなもの〜 なんでも挟める〜
トントントン・トントント・トング♪
トングの御用命はトング専門店・「最近ちょっとトングになってない?」まで

②玉田さんへ  TRI4TH 伊藤隆郎

玉田さん、お疲れ様です。
TRI4TH伊藤隆郎です。

今日はINST-ALL FESの日でしたが、来年に延期ということで僕もとても残念です。
ですが、こうしてリモートで玉田さんと会えて嬉しいです。
こんな日は、初めて玉田さんと会った日を思い出します。

あの頃の僕は荒れに荒れて、毎日喧嘩と敵対するチームとの抗争に明け暮れていました。
その日も、敵対するチームとの抗争のため、地元の港にある倉庫で、後輩たちと武器の手入れをしていたのですが、後輩が見回りをしていたところ、たまたま通りかかった玉田さんを敵対するチームのメンバーだと勘違いし、喧嘩を売ってしまいました。
しかし、その後輩はあっという間に負けてしまい、それに怒ったチームのメンバーが玉田さんを囲みました。
それを聞いた僕は、後輩を一瞬で負かしてしまったヤツとタイマンが張ってみたくなり、玉田さんに勝負を挑みました。
しかし、そんな僕の手を取って、玉田さんはこう言いました。
「お前の手は誰かを叩くことしかできないのか?そんなことはないだろう。お前は他に叩くべきものがあるんじゃないのか?」
そして玉田さんは号泣し、僕を抱きしめました。

今まで自分のために本気で泣いてくれる人なんていなかった僕は、自分が情けなくなり、両手に持っていた角材で、相手チームを海に沈めるために用意していたドラム缶を何度も何度も叩きました。
それが僕のドラム人生の始まりです。

僕はその日から喧嘩と抗争の日から足を洗い、そしてTRI4THという音楽でチームを作り、今ではSONYからメジャーデビューしています。
あの日、玉田さんと交わさなかったコブシは、音楽という情熱で交わし合っています。

来年のINST-ALL FESでも、お互いのバンドで本気でやり合いましょう。
僕はTRI4THでもアダムアットでも叩くことになりますが。

玉田さん、ありがとう。
2020年7月5日 TRI4TH伊藤隆郎

<CM>
今年もこの季節がやってきた!
出会いはいつもこのお店!
〜Fall In Love,ロマンスのかに玉、どうもありがとう〜♪
カニ玉一筋78年。カニ玉専門店「ヒロセ」
エビマヨ始めました!!

③玉ちゃんへ fox capture plan カワイヒデヒロ

たまちゃん、今日はこうしてINST-ALL FESのトークライブに誘ってくれてありがとう。
今年は来年に延期だけど、その分、来年思いきり楽しむことにします。

いきなりだけど、昔、たまちゃんと一緒に鹿狩りをした日を思い出したのでここに書きます。
あの日も、僕はとにかく肉が食べたいと、肉への欲求が抑えきれず、静岡の山奥に鹿狩りに向かっていました。

道中までの出来事をツイートしていたところ、たまちゃんから「鹿狩りに行くのなら俺も 連れて行ってくれ」とDMがあり、急遽たまちゃんと合流することになりました。
僕は鹿狩りをしたことがなかったため、着の身着のままで向かっていましたが、たまちゃんは合流地点につくなり、僕をビンタし、「山を舐めるな!鹿を舐めるな!」と怒鳴ったのです。
ビンタされたその刹那、僕の目の前には、ビンタの衝動の粒子が飛び、閃光が疾走しました。

そしてたまちゃんは、用意していた猟銃と仕掛け罠を手に、ズンズンと山へ向かっていきました。
僕はそれについていこうとしましたが、「ルイージはそこにいろ。ここは俺がやる」と言い、たまちゃんは山へ消えていきました。

待つこと30分。
たまちゃんは傷付きながらも、見事なメスの鹿を仕留め帰ってきました。
早速、その場で僕とたまちゃんはその鹿肉を調理し、雌の鹿1匹を二人でペロリと平らげました。
僕は「また、たまちゃんと鹿狩りに行きたい」と言ったら、たまちゃんは「鹿は意外と 大変なんだよ。次はキツネを捕まえたいな」と笑いながら言いました。
その時、僕の頭の中で、fox capture planというバンド名が思い浮かんだのです。

たまちゃんとあの日、食べた鹿肉の味は一生忘れることはないでしょう。

今年のINST-ALL FESは来年に延期ですが、来年は一緒にジビエ料理を出してもいいかもしれないね。

たまちゃん、ありがとう。
2020年7月5日 fox capture plan カワイヒデヒロ

<CM>
こだわりは土から。
その土の一粒、一粒に想いを込めて。
毎夜、毎夜、少しずつ盗んだ甲子園の土をここまでの畑に。
高校球児の涙と汗を野球への想いは、栄養満点の野菜に成長しました。
美味しいお野菜、野菜のキュウジ!!

④たまちゃんへ
アジアンカンフージェネレーション、PHONO TONES伊地知潔

たまちゃん、今日はINST-ALL FES残念だったね。
でも、来年に延期ということなので、来年は今年の分も思いきり楽しませてもらいます。

こうして手紙で伝えると恥ずかしいけど、たまちゃんにはいつも助けてもらっていました。
一緒に海賊船で海賊見習いをしていた時。
僕の発注ミスで食糧不足のまま出航してしまった時も、たまちゃんは僕に自分の分のじゃがいもをくれました。
僕が船のデッキ掃除をさぼり、船長に船から落とされそうになった時も、たまちゃんは僕をかばい、自らサメがたくさん泳いでいる海に飛び込み、サメと格闘してくれました。
僕が船長の宝を盗んで売ってしまい、そのお金で豪遊したことがバレ、処刑されそうになった時も、たまちゃんは僕をかばって、美術館からクレオパトラの涙というお宝を盗み出し、帳消しにしてくれました。
僕が見張りをしていた時に、つい寝てしまい、敵に船を沈められた時も、たまちゃんは僕をかついで、港まで泳いでくれました。

そんないつもたまちゃんに助けてもらっていた僕が今できることは、いつかアジカンのツアーのオープニングアクトをお願いすることだと思っています。
じゃがいもの恩。
デッキ掃除の恩。
お宝の恩。
そして沈没の恩を、今度は音楽の音として返せたらと思っています。

海賊船での食糧不足を経験した僕は、今は音楽と並行して料理も頑張っています。
いつか、あの時お世話になった海賊船の船員みんなに食べさせたいと思っています。
あ、でも沈没の時にみんな帰らぬ人になったんでしたね。

来年のINST-ALL FESも楽しみにしています。
キヨシズキッチンとして出店もできたらいいなと思っています。
たまちゃん、いつもありがとう。

2020年7月5日 アジアンカンフージェネレーション、PHONO TONES伊地知潔

<CM>
「仕事嫌だなぁ〜」
「はぁ、今から家事やらなきゃ」
「明日の約束、行きたくないなぁ」
そんな時にはやっぱりこれ!
愛され続けて江戸時代!
か・わ・り・身・の・術!!!
水遁の術キャンペーン実施中!

⑤たまちゃんへ JABBERLOOP ナガタユウキ

たまちゃん、いつもお疲れ様です。
JABBERLOOP、ナガタユウキです。

今日はたまちゃんへの気持ちをこうして手紙に書くことにします。

僕とたまちゃんは、幼少期から、ただ戦うための人間兵器として、組織のボスに育てられてきました。
感情を捨て、6歳の時には、素手でヒグマを倒せるようになった僕らに明るい未来なんかあるはずがありません。
地域で行われていた、ちびっこ相撲大会でも、一発の張り手で対戦相手の子を再起不能にしてしまったり、学校では、同級生との指相撲で相手の指を粉砕してしまったり、気づけば僕たち2人の周りには誰も寄り付かず、僕はいつしか人間を憎むようになっていましt。

そんな中、たまちゃんは海賊船への就職が決まり、僕と別れのタイミングが来てしまいました。
共に、山へ籠もって鹿を狩ったり、ボスからの指示で地方の暴走族やチームの抗争を止めに行ったりした2人でしたが、成長と共にお互いの道を歩まなければいけないことを知り、僕はその時に生まれて初めて、悲しいという感情が芽生えたのです。

別れの日、たまちゃんは僕にシロクマのヌイグルミをくれました。
その人形はたまちゃんが幼心に覚えている、唯一、両親との記憶があるヌイグルミだったそうです。

たまちゃん、気づいていましたか?
あのシロクマのヌイグルミの中には、たまちゃんのお母さんだと思われる人の名前が入っていたんですよ。
名前の主はレイコでした。
たまちゃんの本当のお母さんはレイコって名前だったんです。マザーレイコだったんですよ。

僕はその後、色々あってJABBERLOOPというバンドを始めましたが、誰にも言えない過去をこうして曲にし、たまちゃんに自分の存在を知ってもらおうと思いました。
シロクマという曲もマザーレイクジャズフェスティバルも、全て遠くにいるたまちゃんに向けてのメッセージだったんです。

長くなってしまいましたが、昔は人間兵器として育てられた2人が今は同じ音楽をしてステージに上がっていることに僕は誇りを感じています。
今年のINST-ALL FESは残念でしたが、来年は今年の分もやり合いましょう。

たまちゃん、いや、お兄さん。いつもありがとう。 

2020年7月5日  JABBERLOOP ナガタユウキ

<CM>
その走りは常識を超える。
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⑥玉田さんへ カルメラ 西崎ゴウシ伝説

玉田さん、今年のINST-ALL FESは残念ながら来年へ延期ですが、延期でもこうしてみんなを楽しませようとする気持ちが僕はほんまに嬉しいです。
いや、ホンマよくここまで成長したな。
今日だけは君のことを親しみを込めてダイゴと呼ばせてもらうわ。

あの日は、珍しく雪が降っていました。
僕はその日も、人間兵器としての修行をしに山寺に向かう途中、幼子が2人、雪の中に放置されているではありませんか。
顔を見られたものは全て消せと教わって来たので、この幼子2人も消さなければいけないのか。
僕は迷いました。
しかし、シロクマのぬいぐるみを大事そうに抱える幼子の手がとても小さく、そしてあまりに無力なので、僕は組織の教えに反して、その2人を家に連れて返ったのです。
そして2人は、ただただ僕の教えの通り、感情を捨て、素手でヒグマを倒せるようになり、友達も作らず、大きく成長しました。

あの時の2人と今、こうして同じステージに上がっているなんてホンマ夢みたいです。
今まで隠していたわけやないんやけどな、言うタイミングがなかなかなくてな。
ダイゴ、ユウキ。大きいなったな。

お前ら2人は覚えてないかもしれへんけど、お前らが素手でヒグマを倒す、ずっと前にな。
めっちゃ危ないことがあってんで。
修行している時に、ノラドーベルマンがお前ら2人を襲ったんや。
やけどな、その時のお前ら2人から放たれた殺気で、そのノラドーベルマンは逃げ出したんや。
まさに、犬、逃げた、やな。

その夜、俺は1人で乾杯したんや。何年ぶりかの酒やで。
乾杯するか、どうするか、そりゃめっちゃ悩んだわ。でもな、いっせいので、乾杯したんや。

話が長くなったけど、自分が育てた人間兵器2人が、今はこうして自分で道を選択し、そして偶然にも音楽でつながっていることに感謝しとる。

これからも、世を忍ぶ仮の姿でお前ら2人を見守っていくさかい、きばりいや。
あとな、ダイゴの関西弁はおかしいで。
キットくんにも変な関西弁使ったんちゃうか?

しかし、マザーレイクジャズフェスティバルも、INST-ALL FESも。
感情を捨てたお前ら2人が、たくさんの人たちに笑顔と喜びを与えているんやな。
お父ちゃんはほんまに嬉しいで。

7月5日 Calmera 西崎ゴウシ伝説

いかがでしたか?

来年はINST-ALL FESが無事開催できることを今から願っています。
その上で、それよりもこのコロナウイルスが1日も早く終息することを心から祈ります。

それではまたお会いしましょう。

案内人のADAM atでした。

=終=

※出演者からADAM atへの手紙は全てADAM atが勝手に書いたフィクションです。