<セットリスト>
・Silent Hill
・Oroppas
・Install
・サイコブレイク
・共鳴ディストラクション
・五右衛門
・Dinig Of D
・六三四
・MONOLITH

多分、こんな感じだったと思う。

セットリストで何をやったのかなんて大した話じゃないや。
フジロックでライブをしてきたってのが一番の話なんだもの。

さて綴るぞ。
今回は長いぞ。

まずは決まった時。
私は新幹線の車内だった。
車内でこの話がメールで決まった。
線路の音よりも心音の方が大きく耳に聞こえていたと思う。
すぐにメンバーに連絡した。
ながっちゃんはNGだったのでキット君にお願いした。

告知のタイミングを今か今かと待った。
5月31日に告知した。
ツイートにも書いたが、2011年に活動を開始しその翌年から3年連続でフジロックのオーディションに送って落選している。
ようやく、ようやく念願のステージに上がることができた。
苗場食堂という小さなステージだったが、本当に大きな一歩だ。

CDリリースはフジロックの告知後だったので、リリースキャンペーンでは各局でフジロック出演と言って頂いた。
ファンの皆様やライブ好きにはもちろんだけど、メディア関係の方々への反響も大きかった。
これが日本一のフェスなんだと思い知る。
そしてそれに出るんだと心震えながらも、持ち前のネガティブ思考は、出演後には何も話題がないこと、誰も話題にしないのではないか、ということを考えていた。

Inst-All FesやJOIN A LIVE、篠島フェス。
そして遂にやってきたフジロック。
まずは7月27日。
前日は都内にいたので、ササキヒロシ君と合流し新横浜へ向かいキット君を拾い新潟へ。
途中渋滞はあったものの、順調に進み16時に会場着。
駐車場からホテルに向かう道中から大雨が降り出し、早速水浸し。

ホテルに到着し着替えてフジロック会場へ。
たくさんのフェス飯やお酒を我慢し、アジカンを観に行く。
も、着いた頃に終わってしまった。
その後、岩崎愛ちゃんと合流し乾杯するも、雨足が強くなり私はホテルで休むことに。
ライブしに来たのに風邪をひいてちゃんとライブができなかったら本末転倒である。
ホテルに戻り、ホテル内のレストランで晩御飯をと思ったら2時間待ち。
ホテル内のコンビニは長蛇の列でようやくパンを手に入れる。

ここに来るまでに念のため用意しておいたカップラーメンをまさか早々に開けることになるとは。
缶ビールにカップラーメンとパンで就寝。

そして7月28日ライブ当日。
我々の出演時間は21時からだったので、この日もしっかり休む。
Youtubeでフジロック実況を観ながらどこへも出かけなかった。

せっかくのフジロックだけど、いいライブをすることを優先。
フジロック2食目もパンと非常食のカップラーメンだ。

そんなこんなで東京からタカオ君とコウタ君が到着。
ホテルロビーでパスとホテルのキーを渡し、再びホテルの部屋へ。
何度も寝た。
よく寝ることが良いライブをすることの秘訣であると信じている。

そして19時、メンバーとスタッフと合流し会場へ。
もう外も暗い。
最終日の夜、会場を後にする人も増えて来た。
そんな中、我々を乗せたバスがステージに向かう。
バスの中にも聞こえる外のライブ。
暗い中に光る照明。

あぁフェス会場にいるんだなと。
それもフジロックの会場にいるんだなと再確認。

ステージに着き、楽屋に楽器を下ろす。
ステージの周りを歩く。
音が聞こえる。
人がたくさんいる。

この後、私はここでライブをするんだ。

前のバンドが終わりセッティング。
サウンドチェックをし、いつも通り六三四を。
人の足が止まる。
止まってこちらに向かって来る。

それがステージ上ではっきりとわかる。
ステージ担当の主催者にもわかったんだと思う。

リハが終わって無音の時間を作るくらいなら、リハという形にして演奏をし続けていいよと耳打ち。
なんて素晴らしいんだ。
ということで演奏を始めてしまう。
人の足が止まる。
その足がこちらに向かう。
そしてその足で踊る。

持ち時間は30分だった。
でもリハからしっかりと演奏を始めていたので45分くらいは演奏したと思う。

人が増えていく。
本来だったら帰るはずだった人たちがこっちに向かって来る。
その人たちを見て、また人がこっちに興味を持つ。
そしてのぞいて見る。

そんな連鎖はいつしか大きな塊となり苗場食堂は人で埋れた。
曲中で静かになる度に歓声が起きる。
これだ、これが欲しかったんだ。
静かになるパートで湧き上がる歓声が欲しかった。

それを分かっているオーディエンスばかりだった。
初めて見た人ばっかりだったのに、演者が欲しい歓声を知っている。

フジロッカーズと呼ばれるフジロック参加者は、もはや出演者だ。
彼らの歓声が演者のモチベーションをあげる。
もっとライブがいいものになる。
そしてオーディエンスはもっと高揚する。
それがずっと続いているフェスがフジロックなんだ。

「大半の聴衆が興味を持つのは、音楽ではなく音楽家である」とローランはいっていた。

しかし、あのフジロックで味わった空間に音楽家に興味がある人はほとんどいなかったと思う。
ふと耳にした音楽に興味を抱き、帰る足を止めステージまで来てくれた。
そして一緒に踊ってくれた。

ラストは2012年から応募し3年連続落ちたMONOLITHをフジロックに届けて来た。
また戻ってこれるのか分からない。
でも、戻って来ることだけを今後の目標にしてもいいくらいのフェスだ。
その時もカップラーメンとパンでいい。
ライブをしにまた戻ってきたい。

2019年。
ADAM atはフジロックに出演した。
LiveFansのサイトではベストアクト2位というオマケまで頂いた。

運が良かった。
そしてお客さんを含むたくさんの良い人に恵まれた。
人に恵まれる運も良かった。

そうしてフジロックに出演することができた。
皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。

またいつかフジロックに出演できることを願って。
おやすみなさい。